最近、Twitterを眺めていて面白いツイートを見つけました。
以前からフォローさせて頂いている、えとみほ(@etomiho)さんのツイートです。
内容は、後輩の育成論。
「仕事を教えてくれる親切な先輩」の弊害は、後輩が自ら考え、失敗する機会を奪ってしまうことなんですよね。先輩は良かれと思って「答え」を教え、後輩も失敗したくないからありがたく「答え」を受け取るんですけど、そうすると優秀な作業員で止まってしまうというね。
— えとみほ@コデアル応援中 (@etomiho) January 28, 2018
そう、上司が教えるべきは「答え」じゃなくて「適切な情報にリーチする方法」なんだと思う。 https://t.co/rnqQuoFac3
— えとみほ@コデアル応援中 (@etomiho) January 28, 2018
僕も便乗して、言いたいこと言わせてもらおうと思います。
「答え」を教えることが大事だと思っていた時代があった
僕が入社した頃に、育成に関する話の中でよく飛び交っていた言葉で「放置プレイ」というのがあります。
※放置プレイってSMのプレイの一種だということを今知りましたので、以下「放置」と表現を変えたいと思います・・w
どういう意味かというと言葉から想像はつくと思いますが、全く構わない、放っておくということです。
育成放棄をしているというニュアンスで使われたりしていました。
僕はまさに放置されて育ったと思ってます。
入社から7〜8年後くらいだったか、とうとう僕もトレーナーという立場になりました。
新入社員の育成を任せられたわけです。
僕は放置されて育っていて、具体的なことは何一つ教えてもらわずに、自分の力だけで仕事を覚えてきたと思っていました。
今でこそ簡単に思えることでも、初めて直面した時はしどろもどろで必死になって考えていたことがバカバカしく思えて、周りの人がきちんと「答え」を教えてくれていれば、あんな無駄な苦労をしなくても済んだんじゃないのか、と思っていたものです。
そういった気持ちを当時持っていたものですから、僕はトレーナーとして新入社員に「答え」を教えることにしました。
しかし、そんな育成をしていて手応えを感じた記憶がありません。
覚えられないならノートに書くとか、そんなことまで口出ししていた状態でした。
「答え」を教えるというのは教える立場からすると、正直キリがないと感じました。
そんな僕は新入社員の育成を考えることに疲れてしまいました・・。
期待に応えてくれない部下や後輩にイライラしていた
いち早く僕が持っている「答え」の全てを部下や後輩に共有することで、僕と同等の人材が増え、人材レベルが底上げされると考えていました。
そして、僕より上の人材はそれぞれが次のステップにいける。
それが、業務の効率化にも繋がり、みんなが楽に仕事ができるようになると考えていた僕は、部下や後輩に一日も早く仕事を覚えて欲しいと期待をしていたのかもしれません。
しかし、僕が期待するスピードで彼らは成長してくれなかった。今思えば、過剰な期待をしていたのでしょう。
かなりのスローペースで、それから更に7〜8年経った今でも僕の仕事を彼らに渡せずにいるくらいです・・。
現状はさておき、思うように成長してくれない彼らを見て、僕はいつからか嫌気がさしてきました。
そんな不満を持ちつつ、仕事を続けていてわかったことがあります。
期待している自分が悪い。
期待を裏切られてイライラし、自分のペースで仕事ができないことがストレスでした。
人は自分の思うように動いてくれないものだと思わないといけない。
自己啓発本を読んでいると、どの本にでも書かれていることです。
この問題の解決策はこうです。
人は自分が思うように動かない前提で考えて、事前に手をうっておく。
自分で「答え」を見つける力が育っていない
きちんと「答え」を教えられていたかどうかは別として、少なくとも上司や先輩に「答え」を求めないといけない風潮になっていると、僕は肌で感じています。
それと同時に、上司や先輩という立場は、部下や後輩が大きな失敗をしないために、「答え」を教えないといけないということでもあります。
部下や後輩は、「答え」=「指示」だと思っている感じもあります。
自分の力で「答え」を出そうともせずに「わからないから教えてください」と言うのは、本来は恥ずべきことだと思ってますし、相手に対しても失礼で迷惑なことだと僕は考えるのですが、それを後ろめたさもなく堂々と言えるのは、「答え」=「指示」という考えが頭にあるのが理由の1つとしてあると思うのです。
要するに彼らは、「答え」を教えて欲しいと言っているのではなく「指示」が欲しいというニュアンスで言っているんだと思う。
自分で考える(自己判断をする)ということをした結果、問題が起きた時に「なぜ勝手にこんなことをしたんだ」と上司や先輩に責められる風潮にあります。
実際に、うちの若い社員は「言わなかったら言わなかったで、あとで責められる」という愚痴をこぼしているくらいです。
僕が良かれと思って「答え」を教えようとしていたことも然り、今の世の中の風潮により勝手な行動が許されないということもあり、今の若い社員は自由に行動することが許されないなら考えても仕方がないと考えになっているのは間違いないでしょう。
もちろん、これは仕事上の話であって、その他のことについてはその限りではないとは思います、と一応一言添えておきます。
若者が何も考えていないと誤解されても困るので。
育成は結果的に放置で良い
ここまで語ったように、僕は放置された立場でもあるし、過保護に育成した立場でもある。
そんな立場から、育成についての結論を出すとすれば、やっぱり放置で良いと考えます。
人間は、考えることが何よりも成長への近道だと思う。
放置するのが良いか、丁寧に教えるのが良いか。
この結論については、前者に軍配が上がるのは間違いないと思うので、まずはこの考えを信じて育成に取り組んでいきたい。
もう1つの問題は、部下や後輩に失敗をさせられない風潮について。
なんでも直接口を挟むのではなく、陰ながら見守り、危ないと思った時だけ口を出すくらいにすればいい。
もし大きな失敗を犯した時は、自分の監督不十分という責任のもと、対処をするという覚悟を決めるしかない。
これって上司や先輩の立場では、すごくパワーが必要なことで、実際に部下を見ることから逃げている人間が多い。
常日頃から部下を見ているという辛さから開放されたいがために、勝手な行動をさせない、つまり考えさせないという風潮になっているんだと思う。
しかし、陰ながら見守り、いざという時に出ていく、ということは育成に役立つに留まらず、上司や先輩としての信頼の向上にも繋がると僕は思っています。
そして、こういった人がいてくれているという安心感が、自分で考え、失敗を恐れずに前向きな行動を取れるようになることに繋がっていくんだとも思う。
その先には、部下や後輩の成長、すなわち社員の成長⇢会社の成長に繋がっていく。
そういった理解を持って、上司や先輩の立場では、出しゃばらずに、いざという時の対処の準備だけ整えておけばいいんだと思う。
間違っても、部下や後輩のケツ拭きが面倒だから何もさせない、なんて考えてはいけないのですよ。
放置というと言葉は悪いかもしれないけども、要は余計な口出しはしなくていいということです。
ただし、何もしなくてもいいということではなくて、若者をしっかりと見守ってあげることはしないといけないですよね。
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