8月が終わって5ヶ月。
今月は少々愚痴っぽい感想になる。
それだけ自分というものを持ち始めたのだと思う。
管理職に失望
今の職場に異動になる前から、この職場のヤバさは噂では聞いていた。
「あそこは動物園だ」「初めて管理職をやるにはハズレ」などと言われていた。
話が通じない部下、民度が違いすぎる部下(あり得ない服装で出勤するなど)、交通事故などの問題を起こす部下といった難しい人間の集まりであることを比喩し、動物園などと言われている。
当時はまだ管理職業務をやっていなかったので、その感覚がよくわからなかったし、噂を鵜呑みにせず自分の目で確かめるまでは、そういった先入観は持たないことにしていた。
むしろ、皆はそういうが気合が足りていないだけではないのか?実際、気合を入れて挑めばそんなことはないのではないのか?
そう思っていた。
でもなるほどなと思った。
部下への不満については想定内であるが、まさか管理職に対してこれほど不満を持つことになるとは…。
管理職1年目の筆者がいうのも何だが、ひどいわ、この支店の管理職は。
この管理職あっての、あの部下なのだろう。いや、むしろ部下はまともだ。組織を乱しているのは管理職の方かもしれない。
部下への配慮のなさとか理不尽さとか誠意のなさとか。
期限管理もいまいち。
8月は夏季休暇があったわけだが、管理職という立場でありながら、もう休みに入るから関係ない、あとよろしくみたいな顔してやがる。
筆者以外の管理職が夏季休暇に入っている間、1人で管理職業務を切り盛りしていたわけだが、おかげで胃に穴が開きそうな日々を送ることになった。
さすがに、上司や先輩管理職への不満が態度に出てしまったかもしれない(だいぶ抑えてたつもりだけど)
筆者はやるべき仕事があるなら、休暇を返上してでもやらないといけないと思う人間である。
そういった考えを他人に押し付けるつもりはないが、今回、上司は筆者にそれを求めた。休暇を変更して出勤するようにと。
筆者は一理あると納得感を持って従ったわけだが、当の本人はやるべきことはやらずに休暇を取っている。
そのフォローを筆者に任せて。
・・・などなど、言い出すと幼稚な話になりそうなので、この辺でやめておくことにする。
しかし、本件で得たものは大きいと思う。
前向きに考えるなら、極度のストレスを耐え抜いたおかげで、耐性が付いたと思う。
何か吹っ切れるいいきっかけになった気がする。
主任の時のように自分の考えに自信を持ち、周りに振り回されない立ち振る舞い方が見えた気がする。
良いきっかけだったのかもしれない。
あのクソ管理職どもには、今後2度と歩み寄らないと、心に決めた1ヶ月であった。
(自分がやるべき仕事はちゃんとしますよ)
課長のポジション
他支店から心配の連絡を受ける。
何の心配かというと、当支店だけが期限ギリギリの業務が終わっていないように見えるが大丈夫なのかということ。
筆者の範疇はやり切っている。
終わっていないのは先輩管理職の組織である。
心配をして連絡をくれた人にもそれは見えているはずだが、なぜか筆者に連絡が入る。
なぜ筆者にそれを言う?
親切で心配してくれている人に対して、そんな発言はありえないわけだが。
先にも書いた通り、筆者は他の管理職に失望しているので、実は自分の範疇だけ終わらせて彼らのことなど放っておいてやったのである。
うちの支店が何と言われようと知ったこっちゃないと思っていた。
しかし、薄々気づいてはいたが、どうやら支店内での筆者のポジションは支店長代理というか、全体を見るべきポジションのようだ。
他支店にも筆者と同じポジションの人がいるが、そういう覚悟を持っているように見える。
面倒なポジションである。
そろそろ、その覚悟を決めねばならないのかもしれない(というか決めるしかない)
上層部への不信感は勘違い?
日々、管理職会議がある。
筆者のような末端の管理職が、上層部から「有り難いお言葉」を頂ける場である。
皮肉でこのような表現をしているのであるが、おそらく筆者に限らず末端管理職にはその言葉は響かない。少なくとも筆者には響かない。
何かこう、胡散臭さとか当たり前のキレイ事を並べただけの理想論など、一種の宗教的な考えを押し付けられているような気持ちにしかならない。
そんなことを語られただけで、出来なかったことが出来るようになれば苦労はしないし、こちらの心に響かない以上は、それによって何の心境の変化も起こらない。
会議なんていうのは、本当におままごとだと思う。
ここで、会議が何のために開催されるのかを考えてみる。
考えられる目的の1つ目は、仕事の期限管理。
管理職には膨大な量の仕事がある。
その一つ一つには期限がある。
どこの支店が何をどれだけ完了できていて、あと何が残っているのかをトレースするのが1つの目的だと思う。
膨大な量の仕事があって、その情報整理を個人に委ねるのは危なかしいということだと思う。
どれだけの仕事があって、それぞれの期限はいつなのか。
これを整理するのが困難なほど、膨大な業務量なのである。
しかも、仕事の指示が来るのは決まった人からだけではない。
全国のいろいろな人間が、しれっとメールで指示をしていたりする。
要するに、メールを見落とすと気付くことすらできない。
それをまとめてくれているのが、この会議の主催者側なのである。
そう考えると、本当に「有り難いお言葉」なのかもしれない(皮肉ではなく本気で)
考えられる目的の2つ目は、業績に関するトレース。
各支店には売上や利益のノルマがあるわけだが、その進捗と達成の見込みを確認。
達成できそうになければ、どうやって達成させるのかを問われる。
それに的確に答えられないと、お叱りを受けることになる(ほとんどの支店はお叱りを受けている)
・・・こう考えると、会議がまともなものに思えてきた。
どの管理職もやるべきことは理解している。
しかし、いろいろな問題があって、それらをやり切れない。
そして、上層部が尻を叩かなければ、何かと理由をつけて簡単に諦めるのである。
人間というのは、尻を叩かずに放っておくとやらないのである。
だから、会議の場で上層部からのお叱りを受けることになるのだろう。
それに対して、部下である我々は、やろうと思ってもやり切れない辛さを理解してもらえないことに愚痴をこぼす。
しかし、もしその辛さを理解し何も言わなければ、単にやらないだけなのである。
会議で尻を叩くが如くお叱りを受けるのは当然のことのように思えてきた。
こうやって考えてみると、自分は何が原因で上層部へ不信感を抱いているのだろう?
頑張っているのに理解してもらえないことに納得できないからか?
そうだとしたら幼稚な話である。
頑張っていてもやれていないなら頑張っていないのと同じ。ただそれだけのことである。
元も子もないが、本章の見出しに「上層部への不信感」と書いたが、不信感なんかあろうがなかろうがどうでも良いのである。
自分が何を頑張ろうと思うのか。
その考えをしっかりと持って、1つずつ結果を出していくことが大事なのだと思う。
まとめ
4月から管理職を始めたわけだが、最初は右も左もわからず、周りに迷惑をかける存在でしかないという想いから、生意気は言わずに様子を見てきた。
しかし、そろそろ仕事にも慣れてきたのか、自分のポジションが見え始めてきた。
そうすると、周りの管理職の仕事に対する意識の低さや理不尽さを感じるようになった。
それは自分の考えをしっかり持てるようになってきたということでもあると思う。
そうでなければ、こんなにはっきりと他人への不信感は持てないわけで。
自分はこう思う、その考えに合わない人のことは理解ができない、ということ。
良いか悪いかはわからないが、自分の直感を信じてやっていくしかないと思う。
気に食わない管理職に露骨にそのような態度を見せないように注意をして、距離をとりつつ、自分の思うように仕事をしていこうと思う。
自信を持って仕事をしていた主任時代の感覚をようやく取り戻せそうな気がしている。
そうなってくれると、仕事の手際が良くなり、仕事とプライベートのバランスが取れるようになってくるだろう。
- 支店の他管理職の仕事感とはこんなものか
- 筆者は支店長代理である
- 上層部の会議は意外と有意義?
- そろそろ管理職業務に自信が出てきた?