「日本の終身雇用が厄介」との記事が目に付いて、いろいろと思うところがあったので私なりの考えを書いてみようと思います。
働き続ければいい「日本型雇用」に代わる答えは 終身雇用や年功序列は“厄介な存在”に(産経新聞) – Yahoo!ニュース
本来、終身雇用は仕事の出来不出来に関わらず会社員に定年までの雇用を保証してくれる素晴らしい制度だと考えるべきかと思いますが、その配慮をせこい考えで利用する人がほとんどであるため、厄介という話になるんだろうと思います。
要は、さぼっていても給与がもらえてしまう…ということですよね。
雇われる側としては終身の雇用を約束されるというメリットがある反面、ぬるま湯につかっていることから仕事へのモチベーションが上がらない、自己成長を望まないというデメリットがあるように思います。
そんな終身雇用について、私が思うところを書いてみたいと思います。
終身雇用だと仕事を頑張る意味がないと思ってしまう
毎日会社に通って言われた仕事をしていれば給料が貰えてしまう終身雇用。残念ながらそれ以上に頑張る意味を感じられません…。
なぜなら頑張っても給与が上がらないから。
頑張らなくても給与は貰える、頑張っても給与は上がらない。こんなことでは頑張る気にならないですよね。
せめて仕事が楽しければ、頑張るも何も夢中になってやるのだとは思いますが、「【書評】やりたいことがわからない人でも大丈夫?/転職の思考法のレビュー 」でも書いた通り、やりたいことを見つけられるのはごく1部の人だけです。
自分はこれで食っていく!と言えるのは奇跡のようなものです。
ほとんどの人がやらなくて済むならやりたくない仕事に携わっていることでしょう。
会社の仕事なんていうのは、つまらないし頑張る意味を見出せない、というのが極論だと思っています。
いくらキレイごとを言ってもこれは揺るぎない事実だと思います。
胸に手を置いて考えてみてください。違いますか?
また、仕事を頑張ることで自己成長に繋がると思いますが、そもそも終身雇用が保証されている以上、自己成長を求める理由がありません…。
自己の成長を遂げなくても食べていけるわけですから…。
自己成長で得られるのは自己満足
私の価値観では、人生は出来ることが増えていくことが楽しい、つまり自己成長が生きがいになると思っていますが、私の場合は会社の為の自己成長は求めていません。
自己成長ってとても立派なイメージですが、人生を楽にする為の手段に過ぎないと思います。
ただ、自己成長が身近な人への小さな親切に繋がってくれれば、ちょっと嬉しいかなとは思います。
自己成長により人生が楽になる→人に親切をする余裕が生まれる→相手も嬉しいし自分も嬉しい
こういうサイクルが生まれてくると人生が充実するのではないかと夢見ています…。
でもこの夢が実現しないのが現実です。
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ネットや自己啓発本で自己成長に関するものをよく見かけますが、誰のための自己成長なのかと考えると自分のため以外にありません。
そして、人の役に立たない自己成長はただの自己満足でしかありません。
でも自己満足で結構なことじゃないですか。人間自分の利益のためであれば頑張れるのですから。まずは自分の幸せが第一です。
自分が不幸なのに他人に親切をするほど、私は人間が出来ていませんし、ほとんどの人もそうでしょう。
「自分のため」が人間何よりのモチベーションになるんですよね。
浮き沈みなく平穏な日々を送りたいと思っている人もいる
夢や希望を持っていない人はつまらない人間だという風潮があるような気がしています。
私自身も夢や希望がなければ、人生って一体何のためにあるのかが疑問でなりませんでした。
私は数年前まで仕事を頑張らない人はクズだと思っていました…。
その頃の私は自分なりに意識を高く持ち会社生活を過ごしていましたが、ある時から自分が頑張っているのは仕事へのモチベーションがあったからではなく、そうせざるを得ない状況だったからだと思うようになりまして、それ以来頑張るのはやめようと思うようになりました。
そもそも「自分が思っている頑張る」っていうのも曖昧なもので、自分は頑張っていると思っているけど誰もそれを求めていないかもしれませんよね…。
周りの目は私のことを、「やらざるを得ないことをたくさん抱えていて、それに耐えることを頑張っている人」と思っていたかもしれません。
自己成長という立派なものではなく、ただ会社の仕事に耐えているだけ…ババを引いた社員…我慢強い人間…というだけのことだったのかもしれません。
そんなことを考えるようになってから、私は自分の偏見による頑張りなんかどうでもよくなり「頑張る」ことをやめました。
他人からの評価はどうでも良く、それどころか評価されると責任の重い仕事をやらされる…とさえ、思うようになりました。
偏見に満ちたこの世の評価などクソ喰らえだ…自分の評価は自分でする、自分がやった方が良いと思うことをやろう、と思うようになりました。
そして今は、他人の評価に振り回されずにマイペースに人生を送れることを一番望んでいます。
私はそんな人間ですが、世の中には同じようなことを思う人がいるのではないでしょうか。
最近、私の関係者の間では管理職になりたがらない人が多いんですよね。
最近の管理職は端から見ていてとてもやりがいがなさそうです…。正直、彼らは管理職になったことを後悔しているんじゃないだろうかとさえ思います。
もし自分があの立場になっていたら降格させてもらえるならさせて欲しい、或いは何で管理職になってしまったんだろう…と後悔している姿が想像できます。
一昔前のサラリーマンは出世がモチベーションになっていたような印象ですが、現代を生きる私は頼まれても出世などしたくありません。
出世が輝かしいことだとは思えませんし、細々と会社生活を過ごして、家に帰って無事子供の顔が見られればそれで良いのです。
最近の会社生活ではトンチンカンなことばかりなので正直距離を置いておきたいくらいです。
会社にはあまりクビを突っ込まず平穏な日々が送れればそれで良い、というのが私の価値観なのです…。
他人に自己成長を勧めない
仕事を頑張らない人はクズだと思っていたと書きましたが、そのせいか私は部下や後輩が仕事への意識を高めるように促す話を酒の場でするようになっていました。まぁただの説教おじさんですね…。
でも他人にそういった自己成長を促すような話をするのはやめました。
そもそも、そんなことを言っても無駄だとわかったし、私自身仕事を頑張ることをやめてしまったわけですからね…。
ビジネスの鉄則「他人は変えられない」とさんざん頭に叩き込んだつもりでしたが、やっぱり望んでしまうんですよね、他人が自分の思い通りに動いてくれることを。
他人には他人の価値観があります。それはその人の生活にあった価値観なんだと思います。私の生活にあった価値観は他人の生活には合わないと思います。
違う価値観を押し付けられるとストレスになると考えると、自分の価値観を押し付けるのはよくないし、逆に自分も押し付けられたくありません。
技術の進歩では人は幸せにはなれない
最近、インフルエンサーやらなんやらが目立っており、若い実業家の方々が輝かしいビジネスライフを送っている様子をネットで見かけることが多い印象です。
妬みや羨ましさが無い…と言ったら嘘になることは事前にお伝えしておくとして、でも彼らのビジネスへのモチベーションはどこにあるのかと考えたところ、純粋に楽しいとかお金が稼げて嬉しいとか、そういうことのようにしか見えません…。
私の根性が曲がっているだけなのでは?とも思えますが、それにしても彼らのインタビュー記事なんかを読んでいても「誰のために役立つものなのか」というところが印象に残りません。
なんかこう「楽しければ良いじゃん」と言っているように見えるのです。
もちろん楽しいことは結構なことですが、何かこう自己中心的過ぎるというか、そこに他人の喜びが見えない、というのが強い印象なんです。
技術の進歩など「これからはこんなことが出来るようになる!」なんていう話もよく目にしますが、それで人が幸せになるのかというとそうでもないように思えてなりません。
私は技術の進歩では人は幸せになれないんじゃないかと思っています。
例えば医学が発達しても人は幸せになれないと思っています。
今まで死ぬしかなかった病気が、医学の進歩により死なずに済むようになった…と言われても人は死ぬべき時に死なないといけないんじゃないかとも思ったりしています。
これがもし無計画な延命だとしたら…生態系に関わる問題になりそうな気がします。
何かの生物が異常繁殖すると近隣の人たちが迷惑するでしょう…それと同じことかもなぁと考えてしまいます。
大切な人が死なずに済む喜びの裏側には不幸になる人もいると思うんです。
日本の高齢化による年金問題なんかはまさにそれだと思います。
人が長生きする喜びがある反面、若い人達やこれから生まれてくる子供達は苦労することでしょう。
私にも子供がいますが、心のどこかで「こんな時代に生まれさせて可哀想だったんじゃないか」という気持ちがあるくらいで…。
医学の進歩により人が死なずに済む病気が増えて喜ぶ反面、だからこそ出てくる問題があるわけです。
考えてみると、昔に比べて現代は充分に技術の進歩があったことになります。でも現代を生きる私は心の底から幸せだなんて言えません。
子供の頃、自分の部屋にテレビが欲しくてたまらなかったのですが、今や一部屋に一台なんて当たり前の時代です。
固定電話しかなかったものが、ポケベルでどこでも連絡が取れるように、さらに携帯電話で話もできるようになった。どこでも電話ができるだけでもすごいと思っていたのに、今はスマートフォンで電話どころかインターネットを含め何でもできてしまう。
一昔前では想像も出来なかったことが現代では当たり前になっていますが、幸せそうな顔をしている人をあまり見かけません。どちらかというと生きることに疲れている人が多い印象です。
技術の進歩により、求められることが多く全てを手に入れることは出来ない時代です。いろいろなものが生み出された現代では、人々は欲望を満たすことに疲れています。
人間の欲望には限度がありません。もっともっとと欲しがるのが人間です。
私なんかは今や携帯電話というものが無くなってほしいくらいです。どこにいても連絡が取れるのが当たり前と他人から思われているかと思うと窮屈でなりません。
連絡を取りたくても取れないくらいがちょうど良いような気がします。
恋人の声が聞きたいのに聞けない…その方が恋愛も燃えるでしょう(笑)
そんなことをいろいろ考えると、技術の進歩では人は幸せになれないんじゃないかなと思います。
つまり終身雇用は何が厄介なのか
かなり話が脱線してしまいましたが、終身雇用って結局何が厄介なのかと考えると、生活が守られている為に、会社のために働くモチベーションにはなり得ないし、自己成長の意義も感じられなくしてしまうということではないでしょうか。
しかし私自身は「会社のため」のモチベーションは持っていませんが、「自分の人生を充実させるため」のモチベーションは持っているつもりです。
私は会社生活とプライベートは完全に切り離して考えています。
昔は終身雇用でありながらサラリーマンは仕事をよく頑張っていましたよね。今となっては社畜やブラックなどと言われていますが。
頑張ることで昇給が全くないわけでもないでしょうが、今の時代は時間の使い方に重きを置いている雰囲気があり、徹夜で働いて少しの昇給では割に合わないという考えになっているような感じがします(相変わらず残業をして給料が少しでも多くもらえることを喜んでいる人もいますが…)
しかし、個人的には終身雇用が悪いとは思いません。
ただ厳しく言うと、本来は定年まで雇用を保証してくれている会社に対して恩返し(会社の為に頑張る)をすべきというモラルを持たないといけないと思います。
現実は定年まで雇ってもらえるのは当たり前で、何もしなくても給与が貰える、自分が居心地の良いように立ち振る舞う(自分の立場を守るとか)、そういったことを考えて働いている人が多いように見えます。まさに雇われ社員の精神…。
もし自分が起業して雇った人がそんなのだったらどうか。
立場とかどうでもいいから売上を上げることを考えて欲しい、仕事をしない社員をクビにしたい、会社を成長を第一に考えたい、というように会社の成長を第一に考えるのではないでしょうか。
現代のサラリーマンにはそういった想いはなく「会社で働かせてもらっている」という気持ちに欠け、下手をすると「会社のために働いてあげている」とすら思っている可能性がありそうです。
本来、サラリーマンは給料をもらっている見返りとして会社の成長に貢献するという考えを持つべきだと思います。会社に貢献をするからお金をもらっている、これも1つのビジネスと考えるとわかりやすいかもしれません。
ちなみに偉そうな意見を述べていますが、私自身もただの現代サラリーマンです。ここで書いた残念なサラリーマンに該当しています。
こういうことを考えはするのですが、やっぱり残念なサラリーマンでいることしかできません。
こんなことを考えていても「終身雇用を約束してくれている会社のためにちゃんと頑張ろう!」とはならないわけで。
会社のためにモチベーションを上げるのは、もはや至難の業。
その理由を書くとさらに長くなるので、ここではやめておきます。
終身雇用が厄介なのは、相当根深い問題なのでしょう…。
そして私自身、自己成長は誰の為、何の為にするべきなのかという疑問に対して、間違っても会社のためではない、自分の人生を充実させるためでしかない、という結論に現時点では至りました。
というところで本記事を終わりたいと思います。