2023年の抱負
↓2023年の抱負
一文字では「怠」であった。
その理由は以下であった模様。
- 正論を言わない
- 完璧主義をやめる
- 親切をやめる
案外、良いことを言ってたと思うが、それを一文字にして「怠」というのは、今思うとよくわからない・・・。
「きっちりと過ぎて疲れないように気をつけよう」ということだったんでしょう。
それって抱負か?笑
実際はどうだったのか。
正論を言わない
1年前の記事を読み返したが、正論の意味を履き違えていたかもしれない。
ここで正論の意味を確認しておく。
正論(せいろん)は、道理を説く論について正しいものであると評価する呼び方である。事実に関する議論や認識論について用いられることはあまりなく、ほとんどの場合が「**であるべきだ」という当為についての論である。そのため、論の対象は道徳、倫理や規範、政策など、公共的な要素をもつものが多い。
Weblio辞書
前回記事では、仕事のことを人に厳しく言い過ぎるのはよくない、との話をしているが、それは正論ではなく、ごく当たり前の必要なことである。
筆者の主観でモノを言っているのではなく、組織としてやると言っていることをやろう、ルールを守ろう、そういった類のものなのである。
それを厳しく言い過ぎるとみんな疲れるよね、やめようね、って話は違うと思う。
正論とはそういうことではなくて、正解のない人それぞれの考えのようなものだと思えてきた。
- やるべき仕事
- 道徳・倫理観的に正しそうなこと
この2つを混同してしまった。
仕事は、誰が何と言おうとやらないといけない。
それに対して、仕事をする中での関係者への配慮は人それぞれ違う。筆者の考えを押し付けて良いものではない。
どちらかというと前者を人に口うるさく言わない、という意味合いで語っていた。
この抱負を掲げた後、管理職になったわけだが、この立場になるとそんなことを言っていられない。
やるべきことはやれと言わなければ仕事が成り立たないのである。
このあたりの整理が出来ないまま今に至ったけど、自分の考え(道徳や倫理観)を押し付けないということは意外と実践できていたと思う。
人の主張には苛立つものも多かったが、それをぐっとこらえて否定をすることをやめた。
いちいち自分の主張を叩きつけようが叩きつけまいが、何も変わりはしない。
それに慣れてくると、むしろ自分のストレスを抑えることができるし、相手を不快にせずに済むので穏便に終わらせることもできる。
今思えば、単に我儘を直そうという話でしかなかったのかもしれない。
一体、筆者は何様のつもりだったのでしょうか(笑)
少し真剣に振り返ってみて、これに気付けたことは成長と言っても良いのかもしれない?
完璧主義をやめる
管理職になった関係で、自分がやることではなく、部下のやることを考えるようになった。
といっても、結局は自分の管理の話であるが…。
完璧を求めるかどうかは結局バランスの問題で、何でも完璧を求めてはいけないが、大事なことだけは完璧を求めるべきだと思う。
どうでも良いことに完璧を求めて疲弊してはいけない、という話である。
まぁ今年はとにかくがむしゃらに働いていたので、こんなことを気にしている余裕はなかった。
と言ってしまったら、抱負とは一体何なのかという話になるが…
親切をやめる
親切をやめるなんて極端な表現をしているが、親切が大事なことはわかっている。
これも単に疲弊した気持ちの現れだったのだろう。
疲れていたから、少しは自分を大事にしようって話。
でも、2023年はむしろ親切は心がけたと思う。
管理職となり、親切をする姿勢を部下に見せることで、筆者なりの仕事感が伝わって欲しかった。
一体感のある組織になって欲しい。
そう願うからである。
まとめ
そもそもこれらは抱負ではないと思う(笑)
疲れていた自分を楽にしてやりたいとの想いを述べていただけだと思う。
抱負を書いていた当時の気持ちを表現しただけ。
今後は抱負の考え方を改めた方が良いでしょう。
いつもこんな調子で抱負を考えていて
「結局、それって何をするの?」
「それってどうなれば出来たことになるの?」
など、もやっとすることしかなかった。
1年後に振り返ろうにも振り返りようもない。
今年2024年の抱負はしっかりと焦らず考えたいと思う。