仕事

会社勤めで評価を得るためのアピールは必要なんだろうか・・・

仕事では自分をアピールしなければならない。

そういう考えが出てきました。

前回の記事では、会社からの評価なんてどうでもいい、自分の信じる道を進めばいいというようなことを書きました。

しかしながら、そう自分に言い聞かせ納得したと思っているはずなのに、なぜこんなに今の状況にイラつくんだろうという疑問が出てきました。

それは、評価をされていないが故に更なることを求められているような気になっているからじゃないかと考えました。

僕は、自分で評価されるべき仕事をこなしていると思っています。

どう考えても僕より評価という観点で劣る仕事の出来の人間が多数いるように見受けられます。一応第三者的な冷静な目で見て、自分ばかりが苦労をしていると思ってはいけない、他の人も苦労はしているはずと思いながら考えているのですが、それを考慮してもこれ以上を求めらえることに納得がいきません。力不足と言われればそれまでですが、これ以上の仕事を今の僕がこなせると自信を持って言うことはできません。

ストレートにいうと、これだけ苦労をしている僕が更なることを求められ、僕より苦労をしているように見えない人間が何も言われていないように見えるこの状況に不満を持っているということになります。

自分をフォローするわけではありませんが、もう一度言うと自分をひいきしてはいけないという意識は持っているつもりです。その上でこういった考えに至ってしまっています。

これを読んで下さっている皆さんは、お前の実力がなんぼのもんじゃいと思うかもしれませんが、この話は僕の実力がどうこうという話ではありません。相対的に考えて自分の方が上だろうと言える自信がある相手に対しての話です。もちろん自分より勝る仕事っぷりを見せる人もいますので、そんな人に対しては素直に自分はまだまだだなぁと思っています。

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評価とは何なんだろう

そもそも評価とは何なんでしょうか。

上司は部下の仕事の出来をランキングしています。しかしながら、それには明確な基準はないと思います。一見売上額では?と思うかもしれませんが、それだけではありません。売上を上げる裏には、お金とは直接結び付かない仕事をしている人がいます。注文の受付処理をする人、発注をかける人、売掛金の管理をする人などがいます。売上額だけを判断基準にしてしまうと、この人たちは評価が低くなってしまいますからね。(まぁそもそも職種が違うから比較すること自体がおかしいというのもありますけど)

悔しいですが、会社の評価はモチベーションに繋がっていることは否めないのかなと思えてしまいます。

しかし残念ながら、その評価自体が妥当と思える日は来ないのかもしれません。そう思ってしまうので、評価なんかどうでもいいという気持ちになってしまう。

なぜ妥当な評価にならないのか。それは、上司もまた「人間」だからだと思います。

上司にとって扱いやすい部下は、多少出来が悪くても高く評価されると思います。なぜなら、そんな部下が側近にいれば、面倒な仕事を押し付けることができるからです。逆に出来の良い部下でも上司にとって扱いにくい部下は出世させたくない、自分の側近にいて欲しくないと思うはずです。また、自分より出来が良い、自分の存在を脅かす部下は側近にいて欲しくないと思うでしょう。自分より出来が悪い、脅かすはずもない程度の部下を側近におきたくなる。

この問題はその2人の関係だけみると小さなことだと思います。しかし、これが幾度となく繰り返されたことで、非常に大きな問題になっていると思います。変な考えを持つ者が、出来の悪い人間を上にあげる、その出来の悪い人間が、また出来の悪い人間を上げる。これが繰り返されることで会社は出来の悪い人間が上に立つしょうもない会社になってしまうということです。

評価の指標として実力だけでなく、扱いやすいかどうかが入ってしまうことで、会社はおかしな方向に向かっていってしまうんじゃないかなと思います。

本題

妥当な評価が得られないと考えると、アピールのし甲斐がないような気はしますが、僕はした方がいいのではないかと思い始めました。

まず、アピールも実力のうちだと思うからです。これはした方がいいというよりは、できなければいけないことだと思います。評価なんかどうでもいいという裏には、実はアピールが下手でいじけているだけなんじゃないかと思えてきました。実際にアピールは、立派な数字を根拠として出せれば簡単ですが、数字などのわかりやすい根拠がなければ難しいと思います。それをいかにして評価を得られるアピールをするか、ここを考えて行かなければいけないのかなと。

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問題はもっと根深い

アピールすることで評価をされたとします。果たして僕の不満は解消されるのでしょうか。答えは「されない」だと思ってます。そもそも評価に妥当性が明確にはならないので、評価自体に満足することはないでしょう。僕は評価が欲しいのではなく、評価をされることでこれ以上を求められないようにしたいという話をしました。

ちなみに言っていませんでしたが、僕がいう受け入れたくない「更なる要望」とは、僕自身が納得できない上司からの指示のことです。僕は無知な自分の考えから自分の限界を決めたくはありません。もっといろんなことができる人間になりたいという気持ちは常に持ち続けています。自分を満足させるべく、力いっぱいすべきことをしている中、余計な指示を受け入れ難いという話です。

話を戻しますが、余計なことを言ってくれるなということです。評価が低いから言われるというような話になってしまっていますが、実はそうとも限りません。それは、上司が出来の悪い人間に指示をしても期待できないから、出来そうな人間に声を掛けているだけという理由もあり得ます。

上司がそういうことをするので、社員の実力に格差が出来ているといってもいいくらいだと、僕は思っています。出来ない者は仕事を与えられない、仕事を与えられないから成長がない。一方出来る物は、仕事を依頼される、いろんな仕事をするので成長し続けることができる。こういった理由で社員の実力には格差が出来てしまっていると思えてなりません。

話が矛盾してしまいますが、これからすると評価を得たから、もっと仕事をしろと言われなくなるわけではありません。評価を得ているからこそ、仕事をしてくれと言われているのかもしれません。

しかしながら、そんな格差が出来てしまうようなマネージメントに僕は不満を持っているわけです。会社という組織でありながら、人ひとりいなくなると困ってしまうような状況になりつつあると肌で感じています。

アピールをすべきかどうかという話については、結局のところ自分の立場を自分の責任でより良いものにする1つの武器でしかないのかなと、そういうものだと思えてきたということで今回は終わりたいと思います。

結局なんのこっちゃようわからんようになってきた・・・。

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