家族

子供の話

子供が轢き逃げに遭った。

悲しさのあまり、一瞬動けなかった。

急いで駆け寄って抱き上げたが、本当は動かさない方がよかったのかもしれない。

でも親心か、抱いてやらないと可哀想だと思った、というよりは自分がそうしたくてしてしまった。

本人からすれば、身体が辛いだろうからそっとしておいて欲しかったかもしれない。

抱き上げて大丈夫かと聞くと、弱々しい声で大丈夫と返事をしていた。意外と軽傷に見えたが不安しかなかった。

轢き逃げに遭った場合、逃げる車のナンバーなんか覚える余裕はない。

そのまま轢き逃げ犯を野放しにしてしまう悔しさもあったが、彼(彼女)が捕まろうが捕まるまいが、子供の命が救えるかどうかには関係がない。

犯人よりも子供の命を救うことが優先だ。

…そんな夢を見て目覚めた。

早朝だった。

何か寂しい時によく子供の不幸を考えてしまう。

崖から落ちるとか塀の上で遊んで落ちる、転けた時に突起物が身体に刺さるとか。

もちろん交通事故も。交通事故は、現実でもあり得る話なので不安になる。

朝起きてニュースを見ていると、よく猥褻行為や虐待のニュースが流れてくる。

被害者は幼児や小学生、中学生など子供ばかり。

事故ならまだしも、大人が意図的に子供に危険な目に遭わせているかと思うと、本当に人間とはくだらない生き物だと思う。

人間は賢いようで賢くない。

やってはいけないとわかっていることをやる。

猥褻行為や虐待、殺人、ひいては戦争までやる。

人間は地球上で一番の害だと思う。

話が飛躍し過ぎたが、とにかく子供が心配である。

出来ることなら、いつも側についていたいが、そんなことは出来ないので、気をつけるように言い聞かせることしか出来ない。

いつ事故や事件に遭ってもおかしくないと思うと、子供といる時間はやっぱり大事にしないといけないと思う。

そう思いながらも、家で一緒にいても、どうしても自分がやりたいことを優先したくなる。

子供の遊びなんてのは大人にとっては面白くないもので、そんなことをするくらいならもっと有意義なことをしたいと思ってしまう。

でも、そんな合理性は捨てて、子供の行動をのんびりと眺めて子供との時間を肌で実感し、その一瞬一瞬を目に焼き付けておくことが必要というか、そういうことの積み重ねが、後悔のない育児、人生に繋がるのではないかと思う。

今の子供と過ごせる時間は今しかないのである。

あとから取り返すことはできない。

子供との時間を阻むものは、事故や事件だけでない。

単身赴任もある。

頑張って仕事をしているが、頑張るほど家族との距離が出来てしまうような気がする。

子供と一緒にいられなくなる可能性に、日々憂鬱になっている。

先日、老後の過ごし方みたいな本を読んだが、仕事一筋だった男性が定年を迎えて、これからは家族との時間を過ごしたい、と思っていることに対して、

女性は独りの時間がなくなることにストレスを感じている、ということが書かれていた。

男性は「家族のために」と恩着せがましい発言をする傾向にあるが、そこは素直に「家族と一緒にいたいから」と認めなければいけない。

・・・という考えを常に持っているが、そんなことはたぶんどうでもよくて、男性がどう思っていようが、女性は夫といる時間にストレスを感じるようだ。

子供も同じかどうかはわからないが、その可能性があると思っておくべきだろう。

子供が〜と言っているが、子供は親離れしようとしているのに、こちらが子離れ出来ていないのかもしれない。

最近、仕事をしていて虚しさを感じることがよくある。

人生でやることなんてのは全部意味がないことだというのは、以前から思っている。

意味なんかを考える暇もないくらいに、その瞬間を必死に生きれば良いだけだと思うが、我に返ってしまう時がある。

そうすると、人生はただの暇つぶしというか、如何に平穏に時を過ごすか、というだけのものでしかないと、最近は思えてきたのである。

浮き沈みのない、穏やかな時間を過ごし、最期を迎える。

それまでの過程で、子供の成長を見るとか、孫が誕生するとか、キレイな景色を見るとか、美味しいものを食べるとか。

そういった些細な幸せがあるだけで良いのではないか、と思うようになった。

そうやって自分を納得させることで、子供との時間に過度に執着しないようにしたいと思う。

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