インフルエンサー界隈で「ハッタリの流儀」というホリエモンの書籍が話題になっています。
ハッタリの流儀 ソーシャル時代の新貨幣である「影響力」と「信用」を集める方法 (NewsPicks Book)個人的にはハッタリは必要だと思っています。
私自身も仕事でハッタリを使います。
私の今までの人生経験からわかったハッタリの重要性について、本記事では語っていきたいと思います。
ハッタリをハッタリで終わらせるから嘘になる
まず最初に、ハッタリって聞くと悪いイメージがありません?
相手を威圧するために、大げさな言動をしたり強気な態度をとったりすること。また、その言動。「はったりをかける」「はったりをきかせる」
引用元:はったり(ハッタリ)とは – コトバンク
ハッタリをかましている人の印象って「強引に何かを押し付けてきそう」「信用しできない」という感じではありませんか?特に「信用できない」という印象が強くないですか?
でも私としては、ハッタリをかますことを単純に「悪」と考えることについては同意できません。
だからと言って、ハッタリをかましている胡散臭い人を信じるべきという話をしたいのではありません。
ハッタリを「悪」だと思う理由は、大きなことを言って結局実現出来ない、つまり嘘・約束を守らないというところにあると思うんです。
本記事ではハッタリに対して受け身の時の話ではなく、自分が使った方が良いよ、という話になります。
そして、有言実行が前提になります。
それが出来なければイメージ通り、ただの嘘でしかありませんので。
有言実行ができればハッタリはただのハッタリではなくなるのです。
ハッタリを実現すると評価が上がる
私は新入社員の頃、よくハッタリをかましていました。
職場の優しい先輩が「一緒に手伝ってやろうか?」と言ってくれても「大丈夫です、これくらい1人でやれます!」と謎の見栄をはっていました。
内心では「やると言ったものの、どうしたらいいんだ、これ…」なんて不安になっていたし、実際に対応しきれずにクレームをもらって叱られたこともあります。
なんでそんな馬鹿なことをしたのかというと、若かりし頃の私は職場で大して役に立ちませんでした。何をするにも「どうしたらいいんですか?」という質問を投げかけてばかりで。
給料をもらっていながら役に立つどころか足を引っ張っていると自己嫌悪に陥り、1日も早く役に立つ人間だと認めてもらいたかったんですよね。今でもそのことはすごく覚えています。
で、仕事を覚えるのを待っていられませんでした。今すぐにでも役に立つ人間だと思われたかった。
役立たずだと思われているような空気を感じながら職場にいるのはとても辛かったので。
役に立つ人間だと思ってもらえると、その息苦しさから解放されると思っていたんですね。
そこで使ったのがハッタリです。私が内心不安に思っていることでも「やります!」と言えば、実際に私が出来るか出来ないかなんて意外と誰にもわからないものですし、やると言っている人間に悪い気を持つ人もあまりいないでしょう。私も若いなりにそういうことを考えていたんですね。
そしていくら若かったとは言え、私もそこまで馬鹿ではありません。「ハッタリも現実にしてしまえばハッタリではなくなる」と思いハッタリを現実に変える努力をしました。
そうすると聞いている側が「あいつはやると言ったことをやる人間だ」という目で見てくれるような気がして。
実際にハッタリを実現すると周りの評価は上がりますし、出来ないことを実現させる努力をすることで自己成長にも繋がる。
ハッタリは自己の成長に良い影響を与えてくれるのです。
ハッタリを言えないのはビビっているだけ
ハッタリを言うことを嘘つき扱いする人は、ハッタリをかます度胸が無いとも言えると私は思っているのですが、そういう人は自分が出来る枠の中でしか仕事をしない人だと思います。
仕事をしていてよく目にするのは、どうにも出来ない万が一の事態に怯えてYes(オッケー)と言えない人です。
それに対して私の考えは「万が一なんか起きない。もし本当に起きたらその時に対処を考えれば良い」です。
こう考えるには、本当に起こり得ないことかどうかを見極める力があると良いのですが、それがなくてもYesと言っちゃって良いと思います。
会社員であることを前提で話をしますが、一個人のミスくらい大した問題にはなりません。会社が潰れなければオッケーなわけですが、そんなことはまず有りえません。
だから万が一の時は…といった小さなハッタリくらいドンとかましましょう。
自信を持ってYesと返事をしてあげると、相手は頼もしく思ってくれるでしょうし、この人なら安心して仕事をお願い出来ると思ってくれるでしょう。
あと、ハッタリをかますということは自分で責任を持つということです。
仕事をしていると、責任を負いたがらない人をよく見かけます。偉そうなことを言っても私自信もそういう時はあります。ただ、なんでもかんでも責任から逃げている人って見ていればわかります。そういう人って私は苦手です。
責任を負いたくないのは、どうすれば良いのかわからない仕事に真剣に向き合う気がないからだと思います。
わからないことを解決しようという気持ちがあれば、責任は持てますしハッタリもかませます。
こういう気持ちがあったからこそ、私は若い頃にハッタリをかませていたのだと思います。
ハッタリをかませない人は「できなかったらどうしよう…」とビビっているだけなのです。
成長するためには出来ないことが出来るようにならないといけません。人間出来ないことをするのは億劫ですよね。
そんな億劫な気持ちの時に一歩踏み出すキッカケになるのがハッタリなんだと思います。
ハッタリを言えばやらざるを得なくなりますから、出来ないことをやる覚悟をするためにハッタリは使っていった方が良いと思いますよ。
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ハッタリと上手に付き合える人は優秀
先程少し例を出しましたが、万が一のリスクくらい受け入れて何の不安もないように見せかけるハッタリが私は大好きです。
本記事の最初の方でハッタリは「悪」という印象の話をしましたが、そもそもハッタリをハッタリと聞き手に思わせてはいけないと思います。ハッタリと気づかれた時点で胡散臭い人間というレッテルを貼られるのだと思います。
ハッタリはハッタリと気づかれないように使うものではないでしょうか。
私の中でハッタリとはこういうものです↓
- ハッタリとは、相手に不安を与えない返事のこと
- ハッタリとは、自分の弱い気持ちを振り払うもの
- ハッタリとは、自分を成長させるもの
ハッタリは、相手に不安を与えず信頼を得るための手段であり、また自分の弱い気持ちを振り払い未知のことにチャレンジすることで自己を成長させるもの、だと思います。
だからハッタリを上手に使える人は優秀な人が多いと思います。
人に不信感を与えるハッタリではなく、自分に利益をもたらすハッタリはどんどん使っていった方が良いと思います。
という話でした。