仕事

うちの会社には『もういつ死んでもいい』という後輩がいる

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仕事で「失敗したらどうしよう・・」と悩んでいることはありませんか?

僕にもそういう経験が多々あります。これは僕が大きな仕事を独りで任されてプレッシャーに押しつぶされそうになった時の話です。

そんな時は本当に苦しいし、卑屈になったりもします。

「何で自分だけこんな仕事をしないといけないんだ」

「こんなにしんどいと訴えているのに、なぜ誰も助けてくれないんだ」

こんなことを思ってしまいます。

そんな時に飲み会がありまして、そこでうちの後輩と話をした時に、すごく気持ちを楽にさせてくれた話がありました。

彼はなぜうちの会社に入ったんだろう・・と思うくらいに超高学歴です。頭は抜群に良いし、もっと選べる道はたくさんあっただろうに。

僕なんかよりも明るい未来を切り開ける可能性を持っているはずなんですが、そんな彼はこう言いました。

「僕、いつ死んでも良いと思ってるんですよ」

僕は「そんなこと言うなよ!」という言葉を返したのですが、彼の言葉は妙に清々しかったんですね。

仕事のことで悩んでいる僕を、彼の言葉が救ってくれました。

人生の極論のようなものを考えると、何事も楽に考えられるようになるんですね。

この記事を読んでくれているあなたは、きっと何かに悩んでいてここに辿り着いたのだと思います。

よかったらこの記事を読んで頂き、少しでも楽な気持ちになってもらえれば幸いです。

生きていることに意味なんか無い

先程紹介したうちの後輩の話の続きをします。

彼の年齢は30代半ばで既婚で子供はいません。そんな彼が言った言葉が人生に悩み続けている僕には、妙に清々しく思えました。

本当に死んでも良いと思っているかどうかは置いておくとして、やはり頭のいい人間は考えることがシンプルで賢い考え方なのかなぁと僕は率直に思いましたね。

僕は死んでもいいとは思わないけど、なぜ死にたくないのかと聞かれても説明ができない。

家族を養わないといけないから・・・という模範解答のような答えがすぐに浮かぶけど、それも何かちょっと違うなぁという感じがします。

僕が人生について悩んでいることは、死にたくないけど目標があるわけでもなくて、ただ今の環境が嫌いという子供のわがままのようなことだと思う。

それに対して後輩が言う「いつ死んでもいい」という言葉には、自分の人生観のようなものを一言で言える素晴らしさというか清々しさがあると思う。

そう考えると後輩にとって今の会社で働き続けることには、何の悩みも無いように見える。

彼はいつも遅くまで仕事をしているんだけど、不満があるように見えるかと言えば特にそういうふうには見えない。

不満を表に出さないようにしているようには見えたりもするが、どことなく敢えて残業をしているようにも見えたりする(残業代を稼ぎたいという理由ではなくて)

残業なんかして会社に時間を拘束されることを嫌う僕としては、ちょっと理解が出来ない行動です。

もしかすると、彼はこの会社の仕事の中から「やりがい」を見出しているのかもしれない。

それに対して僕は興味が沸かないという固定概念を持ってしまっていて、「やりがい」を見出す努力すらしていないということになるのかもしれない。

僕はこれまで何の疑いもなく、後輩のことを要領の悪い人間だと思っていました。

でも、遅くまで残業をするということに、どれほどの意味があるのでしょうか。

残業は時間の無駄なのでしょうか。残業をしないことは必ずしも幸せな人生に繋がるのでしょうか。残業はダメなことなのでしょうか。

残業をして楽しいのであればそれで良いし、自分がやると決めた仕事をしているのであればそれは充実感になるでしょう。

そんな彼を見て僕はこんなことを思うようになりました。

先のことを不安に思っても仕方がない。
目先にあることの1つ1つに真正面から向き合えば良いだけ。
出来なかった(失敗した)ことも、やってみた結果として受け入れればいいだけ。

人生は所詮暇つぶしでしかありません。生きていることに意味はありません。

だから長く生きる意味もありません。いつ死んでもいいでしょう。

彼はこんなことを思っているのかもしれません。少なくとも僕はそう思えてきました。

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「いつ死んでもいい」=「何も怖くない」

いろいろと考えると、後輩が言う「いつ死んでもいい」という言葉は本当に「死んでもいい」という意味ではなくて、「何があっても怖くない」「どんな失敗も怖くない」と言っているように解釈することもできる。

冒頭で書きましたが、僕には今大きな不安があります。それは「これから始まる大仕事で失敗しないだろうか」という不安です。 

もちろん無事にやり切るつもりでいるし、失敗した時のことなんか悩んでも仕方がなく、ただ「やるしかない」としか思っていません。

しかし、不安がないといったら嘘になってしまいます。不安とプレッシャーに怯えながら、この先の半年間を過ごすことになると思われます。

こういった気持ちがある中、後輩の「いつ死んでもいい」という言葉を聞いて僕は少し救われた気持ちになりました。

もし死ぬことが怖くなければ、それ以上に怖いことなんてありませんから、どんなに大きな不安やプレッシャーも全く大した問題ではないと思えるのです。

「いつ死んでもいい」と思えるならば失敗を恐れることも無くなるので、「サラリーマンの悩みの99%が解消されるんじゃないだろうか」とすら思えます。

「いつ死んでもいい」ということは「怖いことなんか何もない」ということ。

現代社会を生きる僕たちは「失敗は取り返しの付かないもの」だと思い込んでいるところがあるのですが、失敗してもほとんどのことはどうにかなるものです。というか周りの人が必ずどうにかします。

失敗をして人に合わせる顔が無いと思うのであれば「自分のことを知っている人がいない土地へ逃げればいい」というくらいに考えてもいいかもしれません。

「いつ死んでもいい」という言葉に、人生を諦めたようなネガティブなイメージを持つ人が多いと思いますが、実はそうではなくて「人生で起こることで人が本気で悩むようなことなんて何もない」と思える最強の言葉なんじゃないでしょうか。

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気楽に転職するのもあり

その後、何とか大仕事を無事終えたのですが、定期的にこの仕事があるかと思うと気が気でなりません。

僕にとって責任が重た過ぎる仕事を独りで抱えているという悩みを上司に訴えても聞き流されるだけで、結局何も変わりませんでした。

そして、周りの人達がどうしても楽そうに見えてなりませんし、結果を見ても何かをしているようには思えない、そんな精神状態に陥っています。

そういうこともあって、会社を辞めることを決断しました。

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転職することは本当は不安です。でも失敗すればまた別の手を考えればいい。ただそれだけのことです。僕は優秀な後輩からそれを学びました。

僕が会社を辞める理由は、明らかに人間関係です。

要望に答える姿勢を見せてくれない上司、何をしているのかわからない同僚達。

自分で出来ることには限界があります。苦し過ぎる時は人に助けを求めないといけませんが、いろいろと考えた結果、僕にはこれ以上どうすることも出来ません。

最終手段として考えたのが「転職」です。どうにもならないのであれば職場(周りの人達)を変えるしかないですよね。

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